大河原城 (おおがわらじょう)
最寄地 長野県下伊那郡大鹿村大河原1888 2018.8.25
大河原城 (おおがわらじょう)
最寄地 長野県下伊那郡大鹿村大河原1888 2018.8.25
説明板
登城ルート
入口(ミラーの下に標識)
空堀・曲輪跡
城址碑・説明板
小渋川
香坂高宗の墓へ
香坂高宗の墓
御所平
御所平説明板
大河原城跡(地図)
【遺構★★☆☆☆ 】
【感想】 大鹿村大河原の小渋川に面した崖端城となっており、東側は深い沢で畑側との間に空堀が残っている。
城跡は長年にわたる小渋川の浸食で崩落し、空堀付近がわずかに面影をとどめている。
高遠より国道152号線を50㎞以上南下した大鹿村にある。分杭峠付近から道は狭い。松川町から県道59号線でのアクセスが、道も広く距離も短く良いと思う。
【大河原城跡案内】 国道152号線より県道253号線に入り、約1.7km行くと、長野県最古の木造建築物の福徳寺がある。この付近が広く駐車できる。
その先の三叉路に「大河原城址200m」の道標がある[マップコード690 156 566*70]。カーブミラーのある表記番地横より南西に民家の間の舗装道を130mほど進む。
消えかかった「南信州ウオーキング」の標識先を左に、畦道を行き獣除けネットを潜ると、空堀が見える。狭い台地に柵が設けられ「大河原城址」の石碑と説明板が建てられている。
【香坂高宗の墓】 「香坂高宗の墓」へは分かりにくいが、福徳寺西の県道より西に斜めに登る道があり、約250m行くと集落の三叉路に出、左(西)へ約100m行く。民家の裏側に坂があり西に行くと墓所があり、説明板が建てられている(地図) 。
【御所平】 「御所平」へは県道253号線を南東へ、赤石荘を過ぎ約2.7km行くと三叉路に着く[マップコード690 098 896*37]。右は県道で、左の林道「釜沢線」を約3km行き左に100m登ると、終点の御所平下に駐車場が用意されている[マップコード690 132 482*20](地図)。
【歴史】 南北朝時代、この付近一帯を治めた香坂高宗の館跡であった。香坂氏は、本姓は滋野氏と云われ、佐久地方の豪族で香坂の地に居住し香坂氏を称したといわれている。この香坂氏の一族が大草氏を称して中川村大草城主となったといわれる。
興国五年(1344年)宗良親王をここに迎え、更に親王の安全のため釜沢の内の倉(御所平)に住まいを移した。親王は30年間にわたって御所平に居住し、南朝再興の夢は叶わず至徳二年(1385年)75年の生涯を閉じられた。
香坂高宗は応永十四年(1407年)大河原城で没した。
その後、香坂氏数代の居城であったが、天文二十三年(1554年)武田信玄の臣山本勘助に攻められ、落城した。