勝山城 (かつやまじょう) (袋田城)
所在地 福井県勝山市元町1‐5‐16 2014.6.16
勝山城 (かつやまじょう) (袋田城)
所在地 福井県勝山市元町1‐5‐16 2014.6.16
説明縄張り図
勝山市民会館
勝山城址之碑
勝山城博物館
【遺構★★☆☆☆】
【案内・感想】 勝山市民会館(表記番地)の西、天守台の跡地に「勝山城址之碑」が建てられ、由来説明の碑がある[マップコード240 795 820*21] (地図)。
姫路城に似た日本一の高さの模擬天守を持つ勝山城博物館(勝山市平泉寺町平泉寺85-26-1)が平成四年、相互タクシーの創業者・多田清により建てられているが、歴史上の勝山城とは位置・形式ともに関係はない。
【歴史】 勝山城は、戦国時代の天正八年に柴田勝家の一族である柴田勝安によって築城された。
江戸時代に入ると、慶長六年(1601年)福井に封じられた結城秀康の支配となったが、寛永元年(1624年)松平直基が3万石で封じられ、勝山藩の藩庁が置かれた。
その後、松平直良が入るが、正保元年(1644年)直良が移封されると廃城となり、勝山の地は一時期、天領となった。
元禄四年(1691年)に小笠原貞信が2万2千石で勝山の地に封じられ、以後明治維新まで小笠原氏八代がこの地を治めた。宝永六年(1709年)2代信辰の時、城址への築城許可が下り、本丸の普請が開始されたが、財政上普請は中断された。
60年後の明和七年(1770年)5代信房の時再開され、二ノ丸を築き藩主の御殿をそこに移設した。7代藩主小笠原長貴の代に完成を見た。
文政五年(1822年)に、本丸より出火し、門、高塀、土蔵を残して焼失したが、文政九年(1826年)に再建された。
8代長守の時、明治維新となり明治四年(1871年)廃城となった後、城の建物は取り壊され天守台と堀の一部を残し埋め立てられた。