善得寺城 (ぜんとくじじょう)
所在地 静岡県富士市今泉8丁目5-2 2017.3.23
善得寺城 (ぜんとくじじょう)
所在地 静岡県富士市今泉8丁目5-2 2017.3.23
石垣
石垣
吉浅間神社南側の崖
日吉浅間神社
東泉院跡地の公園
善得寺城跡(地図)
【遺構★★☆☆☆】
【感想】 道路の両側に石垣が残り、城の門跡であろうか。見ていたら住民の方に声をかけられ、ここは城跡かと聞くと、城については念頭にないらしく分からなかった。引き換えに西側の東泉院跡をぜひ見てくれと紹介された。
善得寺(今は無い)と共に善得寺城が設けられたとされている。以前は石垣横に「伝善得寺跡」の看板が立っていたそうだ。
善得寺、東泉院、日吉浅間神社の関連は錯綜としているが、善得寺城が存在したのは確かだろう。
【案内】 県道24号線より細い道を西に行った日吉浅間神社(表記番地)から吉原公園一帯が城跡と推定されている[マップコード72 292 504*61]。
今川義元により富士山南麓に下方五社(入山瀬・三日市場・今宮・原田・今泉の浅間神社)が設けられた。
別当の六所家が明治時代まで営んでいた東泉院の跡地で、現在は公園となり、蔵、井戸が残っている。日吉浅間神社が東泉院の本堂跡に建てられている。
公園南に六所氏の住居があった。
【歴史】 善得寺城は、応永十四年(1417年)に今川範政により富士川以東一の善得寺に併設して築城され、今川氏の有力な支城であった。
天文二十三年(1554年)、今川義元・北条氏康との抗争を武田晴信(信玄)が仲立ちし善得寺にて、「善得寺会盟」が行われ三国同盟が結ばれた。
元亀年間(1570~73年)武田氏に攻められ落城した。