顔戸城 (ごうどじょう)
所在地 岐阜県可児郡御嵩町顔戸981 2017.8.24
顔戸城 (ごうどじょう)
所在地 岐阜県可児郡御嵩町顔戸981 2017.8.24
由来碑
縄張り図
東側空堀
城門跡
曲輪
北側空堀
北側土塁・入口
顔戸城跡(地図)
【遺構★★★☆☆】
【感想】 可児川に沿った国道21号線(中山道)の北に位置し、東西約150m、南北約120mの方形の郭に、南側を除いて土塁空堀が、残っている。
【案内】 国道21号線より北に行った、東側空堀付近に城址由来碑が建てられている[マップコード70 388 129*75]。城跡には民家が建ち、北と南に城門入口がある。
東側空堀は手入れされているが、他は放置され鬱蒼とした竹林灌木に覆われている。
【歴史】 築城年代は定かではないが、応仁の乱(1467~77年)の頃に斎藤妙椿(みょうちん)によって築かれたと云われる。
斎藤妙椿は美濃国守護代斎藤宗円の子で八百津の浄土宗善恵寺で修行していたが、兄斎藤利永の死によって還俗し、武将として活躍した。
応仁の乱では西軍に属して活躍し、和歌を好む文化人でもあった。応仁二年(1468年)妙椿は東氏の篠脇城を攻め落としたが、関東に在陣していた9代東常縁がこれを伝え聞いて詠んだ歌が妙椿に伝わり、贈歌十首と引換えに城を返還した、と『鎌倉大草紙』に記されている。