今石動城 (いまいするぎじょう)
最寄地 富山県小矢部市城山町5−48 2013.7.11
今石動城 (いまいするぎじょう)
最寄地 富山県小矢部市城山町5−48 2013.7.11
説明板
入口・標識
展望台
登り坂
主郭・説明板
主郭
今石動城本丸跡(地図)
【遺構★★★☆☆】
【案内・感想】 昭竜寺(表記番地)より西に約280m行くとT字路に出て(東に城山公園があり、駐車可。ここから比高約90m)、西に100m行き大きく西に曲って林道を1.2㎞行くと、駐車スペースがあり[マップコード 122 643 485*5 ]、登り口に説明板が建てられている[マップコード 122 643 518*43 ](地図)。
標識に従い木製展望台の横の草の生い茂る山道を北東に登ると、堀切があり、小郭、腰郭がある。
その上段、標高186m比高約20mの城山にあり、主郭に説明板が建てられている。主郭を中心に四方(北、北東、南東、南西)へ延びる尾根に階段状に曲輪があり、南東尾根が大手道となっている。当日は草が茂り、写真写りが良くなかった。
【歴史】 『越登賀三州志』によると、佐々成政と前田利家が戦をしていた天正十三年(1585年)前田氏によって築かれ、前田秀継(利家の弟)と利秀父子により守られた。
同年八月成政の降伏後、秀継は木舟城の城主となり城下町を作ったが、十一月に起きた大地震により木舟城は潰れ秀継は夫人とともに亡くなった。
子の利秀は翌年に木舟より今石動に居城を移し、城下町を建設したが、文禄二年(1593年)病没したため、翌年前田利長は当城を廃した。