有賀城 (あるがじょう) (天狗山城)
最寄地 長野県諏訪市豊田4565 2015.9.13
有賀城 (あるがじょう) (天狗山城)
最寄地 長野県諏訪市豊田4565 2015.9.13
登城ルート(緑線は車道)
登り口・説明板
主郭背後の堀切
本丸跡・土塁
本丸・石垣・説明板
横堀・竪堀・二の曲輪切岸
横堀
三の曲輪
四の曲輪
五の曲輪
有賀城 本丸跡(地図)
【遺構★★★★☆ 比高100m】
【感想】 諏訪湖に向けて南西から伸びた標高928mの尾根先端に築かれて いる。
堀切、空堀を備えた5つの郭からなる連郭式の城であり、保存状態は良好である。
【案内】 県道50号線より中央自動車道を潜って450m程行った、江音寺墓地に駐車できる[マップコード75 055 756*76]。
墓地 の左手(南側)南に説明版が建てられ、登り口(地図)がある。墓地の一段下に「千野丹波守屋敷跡」がある。
入り口より少し登ると冠木門が復元されている。谷を登り右に向かって尾根に出ると堀切及びそれに続く竪堀に出る。南に登ると、もう1本堀切があり、送電線鉄塔の建てられている尾根に至る。戻って、北の右手に登ると、虎口があり東西約20m南北約37mの本丸跡に着く。
標高925m比高約100mの本丸南に高い土塁があり、その上に「秋葉大権現」の石碑が祀られている。その前に、左右に二段の石垣が組まれており、説明板が建てられている。北端からは諏訪湖、諏訪市の街並みが望める。
再び戻って堀切を左に進むと、堀切に続く竪堀があり、横堀がある。横堀の右側の北の尾根上に二の曲輪、1段づつ下がって三の曲輪、四の曲輪、五の曲輪と順番に配置されている。西側の下方に有賀峠に向かう県道50号線が見える。
【歴史】 本城跡は古代より諏訪と伊那谷を結ぶ交通の要所であった有賀峠の登り口に位置する。 築城年代は不明であるが、諏訪氏の支族である有賀氏が、鎌倉時代初期の承久年間(1219~22年)に当地に入り、その後に築かれたと考えられる。
戦国時代諏訪氏を滅ぼした武田氏の支配が当地に及んだ天文十七年(1548年)、有賀氏ら西方衆は武田氏と争うが敗退し、追放された。
その後、武田方の原美濃守が入城し、しばらく後に武田方に協力した千野靭負尉(ゆきえのじょう)へと支配が移された。
関ヶ原の戦いの後、慶長六年(1601年)再興した諏訪氏の再入部に当たり、千野丹波守房清が入城した。『諏訪市教育委員会説明板』より。