鷲尾城 (わしおじょう)
最寄地 長野県千曲市倉科1702 2020.10.18
鷲尾城 (わしおじょう)
最寄地 長野県千曲市倉科1702 2020.10.18
登城ルート
登り口
南東側下段の石垣
南東側石垣
主郭・土塁
虎口右の城跡標柱
南東側石垣
2重堀切
東の郭
3重堀切(振り返る)
倉科将軍塚古墳
方墳東側の堀切
鷲尾城跡(地図)
【遺構★★★★☆ 比高160m】
【感想】 天城山から南西に伸びる標高516mの尾根先端に築かれている。
主郭は東西約28m南北約21mの楕円形で、東側から南側にかけて土塁が見られ、部分的に崩れているが、周囲に板石を積んだ石垣がよく残っている。
東側尾根には、2重堀切と、東郭を挟んで3重堀切があり、一見の価値がある。
【案内】 県道392号線に面した「倉科の里広場」駐車場が利用できる[マップコード177 709 427*26]。
表記番地横の石塔の所に城跡への登り口がある(地図)。すぐ上の大日堂から「大善寺跡」を通って登山道が設けられている。
虎口は南西にあり、主郭周囲に石垣が残り、東尾根に細長い郭、2重堀切があり、その先に3重堀切が残っている。
東側に少し登ると、長野県の史跡となっている前方後円墳(倉科将軍塚古墳)が見られ、東側背後を堀切で切断している。
【歴史】 築城時期は不明であるが、村上義清に属した倉科氏の居城とされる。
天文二十二年(1553年)武田軍に攻められ、上杉謙信のもとに逃れると、倉科氏も安曇へ逃れたという。