犬山城 (いぬやまじょう) (白帝城) (国宝・日本100名城43)
所在地 愛知県犬山市犬山北古券65‐2 2011.10.11
犬山城 (いぬやまじょう) (白帝城) (国宝・日本100名城43)
所在地 愛知県犬山市犬山北古券65‐2 2011.10.11
現存天守
現存天守
櫓門・隅櫓
天守より木曽川・伊木山城方面
三光稲荷神社
犬山城 本丸跡(地図)
【遺構★★★★★】
【案内・感想】 木曽川の南東の比高30mほどの丘に築かれている。犬山市武道館(犬山市犬山北古券16-1)の北に有料駐車場がある[マップコード70 157 835*50]。城の南に猿田彦神社や針綱神社が建てられている。
三光稲荷神社の朱塗の鳥居を潜ってゆくと、土塁石垣のめぐらされた本丸があり、南に二層隅櫓、櫓門がある。北の天守台石垣の上に現存十二天守の一つ(犬山城、姫路城、彦根城、松本城)で国宝に指定されている三重四階の天守閣(表記番地)がある。
内部は有料(大人:550円、小人110円)で観覧できる。入母屋二重二階の建物に三間×四間の望楼部を載せた望楼型天守であり、天守台は野面積の石垣である。天守からは模擬復元された櫓門・隅櫓が南に、西に木曽川や対岸の各務原市街が望める。
昭和二十七年(1952年)3月29日、天守が国宝に指定された。平成十八年(2006年)4月6日、日本100名城(43番)に選定された。
【歴史】 文明元年(1469年)織田広近がこの地に砦を築き、天文六年(1537年)織田信康は居城の木ノ下城を廃止、現在の地に城郭に改修して移った。現存する天守の二階までは、このころ造られたと考えられる。
天文十三年(1544年)信康が斉藤利政(道三)との戦いで戦死し、子の信清が城主となった。永禄七年(1564年)織田信長との対立の末に信長に攻め取られ、池田恒興や織田勝長などが城主となった。
天正十年(1582年)本能寺の変の後、織田信雄(のぶかつ)の配下の中川定成が城主となったが、天正十二年(1584年)、かっての城主・池田恒興が奇襲をかけ信雄方から奪取し、これが同年の小牧・長久手の戦い(秀吉と信長・家康連合軍の戦い)の引き金になった。
戦の後は再び織田信雄の城となるが、失脚後は三好吉房などが城主を務めた。豊臣時代は石川貞清が城主となったが、関ヶ原の戦いで西軍に属したためその後没落した。
慶長六年(1601年)小笠原芳治が城主となり、敬 長十二年(1607年)平岩親吉が城主となった。
元和三年(1617年)親吉没後、六年間甥・吉範が城主を務めた後、尾張藩付家老・成瀬正成が城主になり天守に唐破風出窓が増築された。以後明治維新まで成瀬家九代の居城となった。
明治六年(1873年)廃城令で天守以外の門、櫓は破却された。
平成十六年(2004年)成瀬家の個人所有であったが、財団法人犬山城白帝文庫に移管された。