鈴岡城 (すずおかじょう)
所在地 長野県飯田市駄科1709 2014.11.6
鈴岡城 (すずおかじょう)
所在地 長野県飯田市駄科1709 2014.11.6
案内板
外堀
外堀
二の丸跡
内堀
主郭・藤棚
出丸・休憩所
鈴岡城 主郭跡(地図)
【遺構★★★★☆】
【案内・感想】 県道444号線より北に入った「鈴岡城址公園管理棟」(表記番地)先に、二の丸駐車場がある[マップコード313 834 493*45] 。
外堀北の二の丸は、遊具広場、運動広場になっている。北にL形の空堀がありその北に主郭、出丸がある。出丸を下って毛賀沢川を渡ってゆくと「松尾城址公園」に至る。
主郭には「鈴岡城址」の石碑が建てられ、藤棚、四阿、展望台、ひょうたん池などがあり土塁が残っている。
昭和四十六年(1971年)5月27日、長野県の史跡に指定された。
【歴史】 南北朝時代に小笠原宗政が築いたとされている。小笠原氏は政康の死去後、深志(府中)小笠原氏、松尾小笠原氏、鈴岡小笠原氏に別れて対立したが、鈴岡城は鈴岡小笠原氏の居城であった。
十五世紀後半に政秀が在城してからは、伊賀良庄と信濃守護職を巡り、松尾小笠原家と争った。明応二年(1493年)に松尾小笠原家にせめられた。
天文二十三年(1554年)武田信玄の伊那侵攻の時、松尾小笠原氏の小笠原信貴・信嶺父子は武田氏の家臣となったが、鈴岡小笠原氏の小笠原信定は松尾小笠原氏に攻められて敗れ、落城した。
その後は松尾城の支城として使用され、天正十八年(1590年)に松尾城が廃城となると、ともに廃城となった。