深溝城 (ふこうずじょう)
所在地 愛知県額田郡幸田町深溝丸ノ内5 2019.3.2
深溝城 (ふこうずじょう)
所在地 愛知県額田郡幸田町深溝丸ノ内5 2019.3.2
㈱三協敷地
西側土塁
説明板・城址碑
説明板
深溝城址碑
本光寺山門
深溝松平家墓所
墓所説明板
深溝城跡(地図)
【遺構★☆☆☆☆】
【感想】 明治維新を迎えて陣屋も廃され、昭和に入って民間に売却され工場用地となった。遺構はほとんど見られず、土塁のようなものも見られるが、当時のものかどうか分からない。
【案内】 国道23号線「深溝中池田」交差点より北に行った㈱三協(表記番地)の敷地となっている。南側道路に面して説明板、城跡碑が建てられている[マップコード51 306 317*76]。
本光寺(幸田町深溝内山17)に深溝松平家初代忠定から4代家忠の墓などがある。
【歴史】 14世紀初頭、大庭氏により築城され初代城主となった。
松平忠定が大永年間(1521~28年)大庭氏を討ち、深溝松平氏初代となり、その後好景、伊忠、家忠が在城した。
天正十八年(1590年)家忠は徳川家康の関東移封に従い、関東に移った。
慶長五年(1600年)5代忠利が移り深溝藩1万石が成立した。
慶長十七年(1612年)忠利は吉田城へ移った。
松平氏の後、慶長十九年(1614年)板倉氏が入り板倉領となり、重昌の時寛永元年(1624年)深溝藩が成立した。
寛永十五年(1638年)島原の乱で重昌は戦死した。長男重矩は中島藩に移り、次男重直が8千石の旗本となり陣屋として明治に至った。