末吉城 (すえよしじょう) (笹山城・堀松城)
最寄地 石川県羽咋郡志賀町末吉ウ−55 2018.6.16
末吉城 (すえよしじょう) (笹山城・堀松城)
最寄地 石川県羽咋郡志賀町末吉ウ−55 2018.6.16
説明板
登城ルート
西来寺前の説明板
登り口
空堀
空堀東の細長い平坦地
二の丸(奥に本丸切岸)
二の丸北の空堀
本丸・四阿
狼煙台
末吉城 本丸跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高50m】
【感想】 志賀町末吉の標高53.8mの城山に狼煙台を置き、西側の少し下がった平坦地に本丸が築かれている。複雑な構造になっているが、本丸背後の空堀などよく残っている。
【案内】 国道249号線より東に行った西来寺(表記番地)に説明板が建てられている[マップコード135 604 855*11]。
西来寺と民家との間の大手を行くと、城内となり竹藪の中に空堀があり、右に登ると細長い平坦地がある。
戻って左に行くと馬場跡があり、上段に二の丸がある。北側は幅広の空堀がある。二の丸の西に5m以上の切岸を備えた本丸がある。本丸は北側に向かって高くなり、最高所に四阿、説明板が建てられている。樹木はないが日当たりよく草が伸び放題となっている。
戻って二の丸から北に尾根を時計回りに登ると、標高53.8mの城山に狼煙台があり、四阿、説明板が建てられている。
【歴史】 応仁の乱後、文明九年(1477年)帰国した3代畠山義統(よしむね)は、堀松庄の領国化を図り能登口郡北部の外浦地区を防衛するために、末吉城を築いた。
同じく能登国を防衛するために、松波城(能登町松波)、西谷内城(七尾市西谷内)、森寺城(氷見市森寺)等を築城した。
城主として畠山家臣の平氏(へらかし)(手筒氏)、河野肥前、松波丹波守義行の名があり、前田利家の能登入国後は重臣の中川家範が城主となった。