西山城 (にしやまじょう)
最寄地 長野県北安曇郡松川村(その他) 2016.11.13
西山城 (にしやまじょう)
最寄地 長野県北安曇郡松川村(その他) 2016.11.13
登城ルート(緑は2郭)
登り口・案内板
三の曲輪・土塁
二の曲輪東の堀切
二の曲輪
2重堀切
本丸虎口の土塁
本丸・城山神社
背後の横堀
西山城 一の曲輪跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高210m】
【感想】 国道147号線を走っている時、看板があったので立ち寄ってみた。二の曲輪前の深い堀切、背後の2重堀切は見応えがある。
大町市と松川村の境の大洞山から東に延びる標高870.4m比高210mの城山頂上に一の曲輪があり、そこから東に安曇野の田園風景が望める。
【案内】 国道147号線より県道496号線を西に行き、「国営公園入口」交差点より県道306号線を南に300mほど行くと、右側に登山口駐車場が用意されている[マップコード158 671 874*12](地図)。
途中に「いもり池」の標識があり、そこより右に登ってゆく。尾根の先端に三峯社があり、その西に四阿の建てられた三の曲輪、西側に土塁と堀切が残っている。島木赤彦の歌碑が建てられている。
尾根を200mほど西に行くと、深い堀切、二の曲輪がある。二の曲輪の西側に土塁と深い2重堀切が残っている。
ピークを右に曲がって800mほど尾根道を行くと浅い堀切があり、その先の標高870m比高約210の山頂に一の曲輪がある。一の曲輪には城山神社が建てられ、虎口付近に土塁が残り、背後に横堀が残っている。
【歴史】 城主は仁科氏配下の矢口氏であり、室町時代の記録に備後守知光、同則知などの名がある。
戦国時代末期、永禄四年(1561年)には仁科氏宗家も滅亡した。仁科氏の滅亡と共に、廃城となったと考えられる。