殿島城 (とのしまじょう)
所在地 長野県伊那市東春近 2015.12.29
殿島城 (とのしまじょう)
所在地 長野県伊那市東春近 2015.12.29
本丸北の3重空堀
本丸東の土塁・空堀
土塁・模擬門(外側)
土塁・模擬門(内側)
城址碑
本丸跡・土塁
本丸南の虎口
本丸南の空堀
殿島城 本丸跡(地図)
【遺構★★★★☆】
【案内・感想】 県道209号線「中殿島」交差点より東に約380m行き、右折約260m、右折すると間もなく本丸北東に駐車場が用意されている[マップコード171 190 295*53]。
本丸の北(駐車場西)に空堀が3条残り、東から南に空堀が残る。高さ2~3mの土塁が本丸の四周に残る。
北東隅に土橋虎口があり、模擬門がある。東西約80m南北約100mの本丸跡は「殿島城址公園」となり、北に「殿嶋城址」の石碑、説明板が建てられている。
本丸の南に土塁切れ目があり、空堀の先が二の丸跡(地図)で、現在、堀も埋められ、住宅地となっている。
【歴史】 殿島城は古くは本城と呼ばれ、稀に見る大規模な平山城であった。土塁は高く、堀は深く、城下一帯は沼地で、北方には御射山(みさやま)を隔てて、物見城があった。
天文年間(1532~55年)の初めに、殿島(とのじま)大和守重国が千五百石を拝領して、築城し伊那地方を治めた。
弘治二年(1556年)武田信玄が伊那に侵攻し廻状によって降伏をせまった。
大和守をはじめとする伊那の諸士は防備を堅くし毅然としてこれに対抗したが力及ばず、狐島にて磔にされ、後に黒河内(長谷)の八人塚に葬られた。その後、16世紀後半まで高遠城の支城であったとする説もある。
大正六年(1917年)東春近小学校運動場設置の為、堀の一部が埋められた。その後、学校農園として芋や野菜が作られていた時代もあった。
昭和六十三年(1988年)伊那市の公園として整備され現在に至っている。『東春近地区協議会説明板』より。