大倉見城 (おぐらみじょう)
最寄地 福井県三方上中郡若狭町井崎29 2017.8.26
大倉見城 (おぐらみじょう)
最寄地 福井県三方上中郡若狭町井崎29 2017.8.26
登城ルート
登り口・フエンス扉
2基目の鉄塔
主郭
主郭
説明板
2郭・奥に主郭
3郭・奥に2郭
北西の堀切・小郭
大倉見城跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高240m】
【感想】 若狭町井崎と東黒田にまたがる標高270.1mの山頂に主郭があり、3方の尾根に階段状に郭が並んでいる。特に北東の尾根には2郭、3郭と並んでいる。
鉄塔管理用と思われる林道は2kmほどあり、歩きやすいが頂上手前は急坂で息が上がった。
【案内】 国道27号線「相田」交差点より西へ約1km、川と小浜線を越え、左折約300m行き、右折して約300m行った所に登り口がある[マップコード380 347 774*44](地図)。
獣除けフエンス扉より、すぐ左に林道がある。20分程歩くと1本目の鉄塔があり、更に林道を登ると2本目の鉄塔がある。そこから急になり20分ほど登ると、主郭の左側に出る。
左(北西)に下ると、堀切、小郭がある。右に登ると主郭で、四阿、説明板が建てられ、三角点がある。
主郭の北東方向に細長い2郭、下段に3郭があり堀切、竪堀が見て取れる。
【歴史】 築城時期は定かでないが、室町時代末、熊谷大膳直之により築かれたと伝えられている。永禄十一年(1568年)越前朝倉勢に攻められたが、落とせず退却した。
天正元年(1573年)朝倉氏滅亡後、直之は織田信長、豊臣秀次に仕えた。文禄四年(1595年)秀吉により秀次が切腹させられたのを受けて嵯峨二尊院で自害した。