真田本城 (さなだほんじょう) (松尾新城・往連寺城)
所在地 長野県上田市真田町長 2013.11.23
真田本城 (さなだほんじょう) (松尾新城・往連寺城)
所在地 長野県上田市真田町長 2013.11.23
駐車場・堀切
真田氏本城跡の標柱
南側の段郭
説明板・城跡碑
説明板
本丸跡・土塁
真田本城 本郭跡(地図)
【遺構★★★☆☆】
【案内・感想】 「真田氏居館跡」の東の「真田氏歴史館」(上田市真田町本原2984−1)の北約1㎞の県道4号線交差点に標識がある。標識に従い東に折れて300m程登り、車で頂上の東迄行ける[マップコード516 069 488*30]。
「真田氏本城跡」の標柱が建てられ、そこから50mほど緩やかな勾配の斜面に段郭があり、2mほどの土塁がある。土塁の西から回り込むと東西約10m、南北約40mの本郭があり、その北に細長い二の郭、三の郭が連なり、その先は崖となっている。郭はよく手入れされて、夕日に映えて美しい。
南南西1㎞に真田氏歴史館が建っており、西に皇太神社の建てられている真田氏居館跡がある。
昭和四十七年(1972年)4月1日、真田町の文化財(史跡)に指定された。
【歴史】 築城は天文年間(1532~55年)真田幸隆と伝えられるが発掘調査で鎌倉時代の縄張りが発見され、以前に山城が存在していたと考えられる。
天文十年(1541年)に武田信虎、諏訪頼重、村上義清の連合軍との戦い(海野平の戦い)において、滋野氏嫡流の海野棟綱と共に真田幸隆は本領を奪われた。
天文二十年(1551年)武田晴信の命を受けた真田幸隆は戸石城を奪取し小県郡の本領を回復した後、幸隆・信綱・昌幸三代にわたって真田本城及び支城群が整備され、上田城に移る迄、真田氏の本城であったと考えられている。