鮎崎城 (あゆさきじょう)
最寄地 岐阜県高山市大新町3丁目296 2018.11.25
鮎崎城 (あゆさきじょう)
最寄地 岐阜県高山市大新町3丁目296 2018.11.25
登城ルート
東側遠景
レストハウスの右より進む
西側通路
戦没者墓地
北山公園・説明板
説明板
鮎崎城跡(地図)
【遺構★★☆☆☆ 比高50m】
【感想】 宮川と大八賀川に挟まれた標高618m比高約50mの山頂に築かれている。
最高所は戦没者墓地となり、少し低い北側は北山公園となっている。遺構はほとんど見られないが、東側斜面に帯郭のような通路があり、城跡を偲ぶことが出来る。
折しも当日は霧が深く、松倉城や三仏寺城など周囲の山や市街地は望めなかったが、晴天の日は絶好のロケーションであろう。
【案内】 北山公園南のホテルやレストハウスまで車道があり、表記番地から北に歩道がついている[マップコード191 226 676*12]。近くの路肩の広い所に駐車した。
北山公園に説明板が建てられている。
【歴史】 築城年代は定かではないが、『斐太後風土記』によると、鮎崎新兵衛尉という城主が居たと記されている。
天正十三年(1585年)羽柴秀吉の命によって、飛騨の三木氏を討つため越前国大野城主・金森長近は飛騨へ侵攻した。長近・可重父子は広瀬城を攻め三木自綱を敗走させ、三木氏最後の砦となった自綱の次男秀綱の守る松倉城を攻める際に、ここに本陣を構えたという。