新津城 (にいつじょう)
所在地 新潟県新潟市秋葉区山谷町2-15-29 2016.10.8
新津城 (にいつじょう)
所在地 新潟県新潟市秋葉区山谷町2-15-29 2016.10.8
新津自動車学校西側
城跡標柱
城跡標柱
掘出神社
掘出神社御由緒
【遺構★☆☆☆☆】
【案内・感想】 『日本城郭大系』によれば、一辺90m四方の方形居館で、曲輪は一段小高く、周囲は堀跡と見られる水田が巡り、一部は土塁も残っていたという。
現在、新津自動車学校(表記番地)の西側道路に面して「新津城跡」の標柱が建てられている[マップコード32 464 064*50](地図)。遺構は消滅している。
東方約700mに位置する掘出神社(新潟市秋葉区新津本町3-14)の鳥居横に「掘出神社御由緒」の石碑がある(地図)。
南東約3㎞に詰城の東島城 がある。
【歴史】 金津保の地頭であった金津越前守信資が天福年間(1233~34年)頃、金津城を築城した『掘出神社御由緒』。その際、城の守護として堀出神社を建立した。
新津氏の祀神である堀出神社の祭礼の起源の伝えでは、天正元年(1573年)に15代当主新津丹波守勝資が、金津城の北方に新津城を築城した。
勝資は武勇に優れた上杉謙信の重臣の一人であり、この頃は本家の金津氏を上回る勢力となっていたなど、新津氏中興の祖であった。金津氏由縁の堀出神社を新津に遷座した。
その後、上杉家の会津転封に新津内記介秀祐も従ったために廃城となった。
また、幕末に24代新津続宗が米沢藩兵として、勝資以来、初めて新津の土を踏むも長岡で戦死した。
25代新津続忠が明治十五年(1882年)に勝資が会津・米沢に持って行った御神体を堀出神社に返却している。