五本松城 (ごほんまつじょう) (五本松館)
最寄地 愛知県豊橋市石巻中山町五本松24 2014.12.8 2019.3.2 2020.5.3
五本松城 (ごほんまつじょう) (五本松館)
最寄地 愛知県豊橋市石巻中山町五本松24 2014.12.8 2019.3.2 2020.5.3
登城ルート
居館跡の石垣・城跡標柱・城跡遠景(矢印)
フエンス手前を左へ
折返し地点の扉より入る
階段状の平坦地(下段)
中腹の堀道
主郭・土塁(奥)
主郭・土塁
土塁背後の堀切
五本松城跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高130m】
【感想】 居館跡一帯は「城屋敷」の地名があり、石垣の畑となっている。
詰城跡は中山町五本松集落に向けて伸びた標高218mの尾根に築かれており、遺構は多くはないが、主郭の土塁と背後尾根に堀切が残っている。
前年も登り口はないかと探し、フエンスに邪魔され諦めていたが、今回地理院地図などで確認し大体の見当をつけて、半信半疑で登ってみたら土塁と堀切が見つけられ、確信に変わった。
【案内】 西郷小学校(豊橋市石巻萩平町城脇164‐2)体育館横に城址の地図と「西郷弾正と西郷校区」説明文が建てられている。
小学校北より県道81号線を南東に1.4㎞行き右折、約230m南西に「五本松城跡」の標柱が建てられ、由来文が記されている[マップコード43 553 093*86](地図)。
城跡へは北に川を渡って行った市道が広くそこに駐車できる[マップコード43 553 314*18]。
川の北側の道を東に行くと、廃棄物置き場のような大きな建物があり、その先から右に山裾を約150m登ると、フエンス手前に左に曲がる作業道がある(地図)。
その先の折返し地点にフエンス扉があり、ルート図のように折り返して行くと終点になり、そこから右の階段状平坦地を経て尾根へ登る。中腹に堀道があり岩場を越えると、主郭の平坦地がある。
【歴史】 西郷地区に勢力を誇った西郷氏により、永禄四年(1561年)築城され月ヶ谷城(わちがやじょう)より移った。
築城者は西郷弾正左衛門正勝と云われ、徳川2代将軍秀忠の生母愛の方(西郷局)の外祖父に当たる。
永禄五年(1562年)、三河国の東端を領有していたのが災いし、遠江国からの今川方の朝比奈泰長軍に攻められ、防戦するものの多勢に無勢のため、長男・孫六郎元正は討死した。正勝自身も居館・五本松城館に火を放って、自害した。
後に三河吉田藩主小笠原山城守長矩が弟小笠原長秋に2千石を授け、居館跡に陣屋を置いた。