小原城 (おばらじょう)
最寄地 岐阜県可児郡御嵩町小原5851−5 2017.8.24
小原城 (おばらじょう)
最寄地 岐阜県可児郡御嵩町小原5851−5 2017.8.24
登城ルート
白山神社鳥居
白山神社
社殿左の入口
堀切
三角点
細長い主郭
小原城 主郭跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高50m】
【感想】 御嵩町小原地区の白山神社の建つ丘陵の北西、標高299mの山頂にあり、堀切、出丸、櫓台、腰郭などが残っている。
社殿の裏は少し茂っていたが、その先は刈られていたので何とか行けた。
【案内】 小原公民館(表記番地)の西100m余の町道に面して、白山神社石段がある[マップコード98 665 144*00]。駐車スペースは少ない。
社殿の左より、笹を掻き分けて10mほどのピークを越え、北西に下って登ると、堀切、出丸がある。
さらに北西に下って登ると、主郭がある。南北に細長い主郭は40m×15mほどの広さがあり、南端が櫓台状に高くなっている。
北端に「神武天皇・畝傍北東御陵遥拝所」の石碑と石祠が建てられ、その下段に腰郭がある。周囲は急崖となっている。
【歴史】 天文年間(1532~1555年)、美濃高山城主・平井頼母が御嵩城主・小栗重則を攻める為、築城したとされる。
元亀二年(1571年)武田信玄の東美濃侵攻で秋山信友に命じ、岩村城・明知城などを攻め、小原城を占拠し奪取し森長可の金山城と対峙した。
天正三年(1575年)森長可の金山城を攻めたが、織田信長の東美濃侵攻により、武田勢は退去し、その後自然廃城となった。