鍋山城 (なべやまじょう) (県の史跡)
最寄地 岐阜県高山市漆垣内町384−3 2018.11.25
鍋山城 (なべやまじょう) (県の史跡)
最寄地 岐阜県高山市漆垣内町384−3 2018.11.25
登城ルート(緑線は車道)
四天王神社
屋敷跡(上段)
尾根の堀切
出丸の石碑
本丸東側石垣
本丸
本丸碑
二の丸・碑
鍋山城跡(地図)
【遺構★★★★☆ 比高150m】
【感想】 大八賀川右岸の標高753mの鍋山に築かれている。北側頂上に本丸があり西に尾根続きの二の丸、南の山頂に出丸がある。
本丸東側に石垣が残り、出丸北側に堀切、その間の尾根鞍部に土塁が残っている。西方約2kmに三仏寺城があり、南西約3kmに高山城がある。
【案内】 国道158号線「松之木町東」交差点より南東に約1.1km行き左折、細い道を90m行き右折、140m先を左折し、表記番地前を山側に行くと四天王神社があり、その前に駐車できる[マップコード191 230 350*16]。
西側にゲートがあり大手道になっている(地図)。約350m行くと屋敷跡があり、更に登ると尾根に着く。南(左)に行くと、土塁付の堀切があり、更に登ると堀切があり頂上に出丸がある(地図)。出丸西側には2段の帯郭がある。
戻って尾根より北に登ると、本丸があり、東から北東側に石垣が残っている。細長い本丸には説明板や標柱が建てられている。
西側に下ると東西約75m南北約20mの細長い二の丸がある。
昭和三十一年(1956年)11月14日、岐阜県の指定史跡となっている。
【歴史】 天文十六年(1547年)三木氏の家臣平野右衛門尉が大八賀郷を横領して三仏寺城城主となった。その子平野安室(あんじつ)の時に鍋山城を築いて移り、鍋山氏を称した。
しかし、南方の益田で強大になった三木自綱(よりつな) が高山盆地にも攻め入り、安室は三木氏に降り、自綱の弟・顕綱を養子に迎えた。
その後、安室は顕綱により追い出され、顕綱が城主となった。しかし、天正十年(1582年)顕綱も兄自綱によって謀殺され、自綱の次男秀綱が鍋山城に入った。
天正十三年(1585年)天下統一を目指す豊臣秀吉の命を受けた金森長近が飛騨に攻め込んだ。三木氏は佐々氏と組んで抵抗したが、遂に滅ぼされ飛騨は金森氏の治める所となった。
金森氏は当初鍋山城を居城として城下町の建設にも着手したが、天正十六年(1588年)高山城を築き、移った後廃城となった。