高梨氏館 (たかなししやかた) (国の史跡)
所在地 長野県中野市小舘4 2013.11.23
高梨氏館 (たかなししやかた) (国の史跡)
所在地 長野県中野市小舘4 2013.11.23
高梨小館城址の碑・太鼓橋
木橋・空堀・土塁
空堀
南西側土塁・堀・奥鴨ヶ嶽城跡
庭園・土塁
平面復元建物・井戸
高梨氏館跡(地図)
【遺構★★★★☆】
【案内・感想】 館跡南の駐車場の脇に「高梨小館城址」の石碑があり、その北に太鼓橋が復元され、すぐ西に土橋がある。堀と高さ3mの土塁の中が館跡であり、東側に一部の館が平面復元され、井戸や庭園跡が残る。東西130m、南北約100mの敷地は現在史跡公園として整備されている。
昭和六十一年(1986年)から平成四年(1992年)にかけて公園整備のため発掘調査が行われ、門跡一棟、礎石建物跡五棟、掘立柱建物跡七棟、庭園跡等が確認された。また東に鴨ヶ嶽城跡の山頂が望める。平成十九年(2007年)2月6日、国の史跡に指定された。
【歴史】 清和源氏源頼信の三男頼季を祖とする信濃源氏の有力武士団で、北信濃地域に勢力を拡大した豪族高梨氏の館である。東の山城・鴨ヶ嶽城を詰の城としていた。
戦国時代初期に高梨政盛が建て始め政頼の代に完成したと言われる。武田信玄の勢力が北信濃に及ぶと、高梨政頼は上杉謙信を頼った。
武田氏滅亡後、本領の一部を回復したが、慶長三年(1598年)上杉景勝の会津移封で共に会津へ移った為、廃館となった。『中野市教育委員会説明板』より。