今城 (いまじょう)
最寄地 岐阜県可児市今875 2014.11.23
今城 (いまじょう)
最寄地 岐阜県可児市今875 2014.11.23
案内板
城址碑・大手道
大手門跡
三の丸・井戸跡
二の丸
本丸二の丸間の空堀
本丸・土塁・四阿
搦手虎口
今城 本丸跡(地図)
【遺構★★★☆☆】
【案内・感想】 県道113号線「今」交差点より南に300m行った付近に搦め手の入口(階段のみで、標識はない) がある[マップコード70 171 227*83] (地図)。その先に駐車スペースがある。
段々になった曲輪跡の間を登ると空堀があり、土塁の残る本丸に着く。比高20mほどの愛宕山に約20m四方の本丸には、四阿、案内板が建てられており「今城址」の木碑がある。
北に空堀を挟んで二の丸があり、展望は良い。西の下段に三の丸がある。三の丸には井戸跡があり、城主・小池家継の墓の小さな崩れかけた五輪塔が残る。
その西に大手門の道がある。大手入口に「今城址」の石碑、説明板が建てられている。
【歴史】 天文年間(1532~55年)に、この地の豪族であった小池家継により築城されたと云われている。
永禄八年(1565年)に中濃を平定した織田信長は森可成(よしなり)を金山城主とした。
小池氏は現在の可児市南西部を支配していた豪族であったが、この時期に信長に帰順し、森氏の家臣となったとされている。
天正十年(1582年)に織田信長が本能寺の変で自刃した後、いままで森氏に従っていた東濃の武将は反抗するようになった。
森長可(森可成の次男で森蘭丸の兄)は反抗する武将を武力で鎮圧したが、その際に家継も鎮圧され、森長可の命により、今城を立ち退き帰農したと云われている。
記録には残っていないが廃城後に改修した痕跡があることから、天正十二年(1584年)小牧・長久手の戦いの際に森氏が今城を改修したとみられている。