船野城 (ふねのじょう)
最寄地 岐阜県下呂市金山町戸部4447 2017.8.24
船野城 (ふねのじょう)
最寄地 岐阜県下呂市金山町戸部4447 2017.8.24
登城ルート
城址標柱と遠景
城址標柱・説明板
擁壁前の坂道(西へ)
西側腰郭
南東側帯郭
主郭
砦跡碑
東側堀切
県道86号線の階段
船野城跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高150m】
【感想】 下呂市金山町を流れる馬瀬川の蛇行点に向けて突き出た標高402mの山頂に築かれている。
東西に細長い主郭と、西側下段に腰郭、南東側下段に帯郭がある。主郭東側に「田口蟹沢氏之砦跡」の石碑が建てられ、その先に堀切が残っている。
【案内】 県道86号線の「KYB金山(株)」に差し掛かる山側に城址標柱、説明板が建てられている[マップコード361 076 498*36](地図)。
その20m西の道より入り、擁壁前を左に登り、突き当りから頂上東側めがけて直登し、尾根に出て右に登ってゆく。 急勾配で体力を消耗し、やっとのことで頂上に辿り着いた。
県道86号線の大きくカーブする所に擁壁の階段があり、そこからは勾配が緩く尾根伝いに登れそうに思えた[マップコード361 077 754*48](地図)。階段上には獣除けフエンス扉がある。
昭和四十四年(1969年)12月15日、金山町(現下呂市)の史跡に指定された。
【歴史】 戦国時代後期、この地は郡上八幡城主遠藤慶隆(よしたか)が治めていたが、天正二年(1574年)加茂郡加治田城主・斎藤長竜が来襲し、その家臣・田口、蟹江の両氏が船野山に砦を築いた。
これに対し、慶隆は臣下の粥川、鷲見、餌取氏らにここを攻めさせ、激戦の末に砦は落ち、双方とも多数の死傷者を出した。
慶長五年(1600年)にも遠藤氏と稲葉氏との間で戦場となっている。