勝山城 (かつやまじょう) (県の史跡)
最寄地 山梨県都留市川棚809 2014.1.3
勝山城 (かつやまじょう) (県の史跡)
最寄地 山梨県都留市川棚809 2014.1.3
登城ルート(緑線は車道)
内堀
川棚見張台
三の郭
二の郭
主郭・東照大権現
焔硝蔵跡
勝山城 主郭跡(地図)
【遺構★★★★☆ 比高80m】
【案内・感想】 富士急大月線「谷村駅」前より桂川を渡って行った、川棚営農指導センター(表記番地)の東50mに説明板が建てられており、登り口がある[マップコード161 468 832*38](地図)。
登ると間もなく内堀の南端が見え、しばらく行くと川棚見張台がありそこから桂川や都留の市街が見下ろせる。
やがて三の郭、二の郭、帯郭があり、頂上が本丸跡となっている。標高571.3m比高約80m山頂の虎口に「勝山城跡」の石碑が建てられ、広い主郭の西側に、東照大権現の社が鞘堂の中にある。
北東に降りると焔硝蔵跡がある。城山公園として、草が刈られ、見晴は抜群であり、随所に桜が植えられている。
平成八年(1996年)5月2日、山梨県の史跡に指定された。
【歴史】 天文元年(1532年)小山田信有の中津森(都留市金森)の館が焼失し、谷村に居館を造り移った。
「甲斐国誌」によると文禄三年(1594年)六代目の城主、浅野左衛門氏重により築城された。当時甲斐では家康に対する備えとして、豊臣秀吉の一族浅野長政が配されていたが、家老氏重は甲府城の前城として勝山城を築いた。この勝山城は居館である谷村城の詰城の役目があり桂川に内橋があった。
宝永元年(1704年)郡内谷村藩主秋元喬知が武州川越城に転封となり廃城となった。以後天領として谷村代官の支配下に置かれた。