月ヶ谷城 (わちがやじょう)
最寄地 愛知県豊橋市嵩山町桂士56 2014.12.8 2016.3.20
月ヶ谷城 (わちがやじょう)
最寄地 愛知県豊橋市嵩山町桂士56 2014.12.8 2016.3.20
登城ルート(緑線は車道)
登り口の木橋・道標
虎口
主郭跡・月ヶ谷城址の標柱
主郭跡
東の郭跡
南の郭跡
月ヶ谷城 主郭跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高140m】
【案内・感想】 国道362号線「嵩山(すせ)」交差点の西約600mより、川に沿った西側の細い道を北上する。約550m行くと空き地があり、駐車させて貰った[マップコード 43 491 365*47 ]。
表記番地東に、黄色の道標が建てられ、登り口がある(地図)。
橋を渡って竹林のある平坦地を過ぎ、「赤の低い道標」に従って(草が茂る夏場は見落とすかも)、左の支尾根に着き、右(東)に登り、尾根を右に折れると、城跡下(北側)に着く。
その上段、比高110mの山頂に主郭があり「月ヶ谷城址」の標柱が建てられている。「月ヶ谷城のヤマモモ」の看板の左に、ヤマモモの大木がある。
東に一段下がって、東の郭跡があり、更に桝形虎口を南に下がると、南の郭跡がある。
【歴史】 大永三年(1523年)、姫街道を押さえるため、三河国守護代にして岡崎城初代城主の三河西郷氏の流れの西郷正員(まさかず)が築城し、一族の本城にしたと云われる。
永禄四年(1561年)、正員の後継、当主西郷正勝(第2代江戸幕府将軍徳川秀忠の生母・西郷局(お愛)の祖父)は当月ヶ谷城を嫡男元正に譲り、当城の北方の山あいの地に五本松城を築城して三河西郷氏の本城を移転した。
翌、永禄五年(1562年)、今川義元が桶狭間の戦いで首級を奪われた後、徳川家康が自立し三河西郷氏も協調したため、今川氏真軍に攻められ、元正は父政勝とともに討ち死にし、落城した。