栗田城 (くりたじょう)
所在地 長野県長野市栗田482 2014.7.16
栗田城 (くりたじょう)
所在地 長野県長野市栗田482 2014.7.16
水内総社日吉大神社
本殿
栗田城跡(地図)
【遺構★★☆☆☆】
【案内】 水内総社日吉大神社(栗田神社)本殿が建っている台地が城跡で、城館跡は回字形に二重の堀が巡らされた大規模な城郭になっていたと伝えら、遺構としては一部築堤(土塁跡)がある[マップコード54 188 110*66]。
【歴史】 正平二十四年・応安二年(1369年)春山城を守る上遠野左近蔵人は守護の入国を阻もうとする村上氏らを中心とする周辺の国人衆に二ヶ月近い長期の攻撃を受けていた。
このため信濃国守護でもあった関東管領上杉朝房は翌年、守護代の藤井下野入道の守備する善光寺(横山城)に向けて出陣した。そして春山城から氷鉋(長野市川中島中氷鉋)、平柴(長野市安茂里平柴)へと陣を移して転戦した。
途中の善光寺別当の栗田氏も従わないため、栗田城が攻められた。栗田氏はこの城で上杉軍を迎え撃って西木戸口での合戦となったが制圧された。
文明九年(1477年)八月に栗田氏は栗山城から出撃し、隣接する領主の漆田秀豊の館を攻めて漆田氏を打ち破ったとされている。
天文二十二年(1553年)、宗家の村上義清が武田信玄に敗れて越後に逃れると栗田寛安は武田方に降った。そして武田方に属して60騎の足軽大将となった。
弘治元年(1555年)、第二次川中島の戦いでは、善光寺別当栗田鶴寿(栗田寛久)は武田方について旭山城にこもり、横山城の上杉謙信を牽制した。このため上杉方も葛山城を築いて対抗したとされる。
今川義元の仲介で和睦した後、栗田鶴寿は善光寺本尊を持ち出し、甲斐善光寺へ移った。そのため栗田城は破却された。