千代ヶ様城 (ちよがためしじょう)
最寄地 富山県砺波市庄川町庄88 2014.10.24
千代ヶ様城 (ちよがためしじょう)
最寄地 富山県砺波市庄川町庄88 2014.10.24
登城ルート(緑線は車道)
登り口
主郭虎口
主郭跡・土塁
主郭跡・説明板・展望塔
説明板
二の郭への坂道
二の郭跡・土塁
千代ヶ様城 主郭跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高50m 】
【案内・感想】 弁天温泉(表記番地)へ行く三叉路を直進(右折すると弁天温泉)、南に約2.2㎞登った峠付近に、北電の「反射板登り口」や「三条山遊歩道」の標識がある[マップコード 288 870 338*0 ](地図)。カーブに駐車できる。
そこより西に比高50m、歩行距離120mの三条山に登る。三条山頂上の主郭跡に北陸電力㈱反射板があり、説明板、碑が建てられ展望塔がある。
西に60mほど下った所に「ニの郭跡」がある。
【歴史】 正平年間(南朝暦・1346~70年)に南朝方の越中守護桃井直常によって庄ノ城と共に築かれたと思われる。
応安元年(北朝暦・1368年)八月、越中国守護に任じられた斯波義将が桃井直常討伐を開始した。
これに敗れた桃井直常はそのまま北朝方の吉見氏が治める能登国末森城へと侵攻するも激しい抵抗に遭い撤退した。
直常の子桃井直和は再び転じて加賀国守護富樫昌家が拠る加賀国富樫城を攻めた。能登国守護吉見氏頼の救援により敗走した直和は越中国一乗寺城に籠るも追撃を退けられず、千代ヶ様城へと退いた。
吉見氏は追撃の手を緩めず越中に兵を進め、応安二年(1369年)九月二十四日、千代ヶ様城は越中国井口城と共に落城し、直和は越中国松倉城へと落ち延びた。
廃城時期などは不明だが、曲輪の周囲に土塁を巡らせる等戦国期の特徴も見受けられ、当時の壇城(庄ノ城) の主であった石黒氏が改修して使用していた事を窺わせる。
廃城時期は戦国時代末期と思われる。