国吉城 (くによしじょう)
所在地 福井県三方郡美浜町佐柿25-2 2017.8.26
国吉城 (くによしじょう)
所在地 福井県三方郡美浜町佐柿25-2 2017.8.26
登城ルート
町奉行所跡の歴史資料館・石垣
城主居館跡石垣
城主居館跡
二の丸・食い違い虎口
堀切の石垣
連郭曲輪群(3、4郭)
堀切・本丸切岸
本丸・土塁・城址碑
本丸南堀切
国吉城跡(地図)
【遺構★★★★☆ 比高150m】
【感想】 腰越坂と椿峠の喉元に位置し、丹後街道を眼下に見下ろす標高197.3mの城山に築かれている。
山麓の奉行所跡、居館跡の石垣がよく残っている。城山には本丸の北西方向に階段状の郭を連ねた連郭式山城となっており、崩れた石垣や埋もれた石垣が発掘されている。
【案内】 「若狭国吉城歴史資料館」(表記番地)が佐柿町奉行所跡に建てられている[マップコード380 685 777*05] 。
建物は古民家を移築したもので石垣も当時のものだそうだ。北西に城主居館跡があり、階段状の郭と石垣が残っている。
居館跡を通って登り口に防獣フエンス扉があり、その先に木道の遊歩道が整備されている。中腹に二の丸があり、土塁、食い違い虎口が残っている。
約500m登ると、石垣のある堀切に出る。堀切の北西に連郭曲輪群(2・3・4・5・6郭)がある。堀切の東に帯段郭、本丸がある。
本丸には北西側と東側に石垣の虎口が残っており、東側に土塁があり、下段に堀切が残っている。
【歴史】 常国国吉(つねくにくによし)が築いた古城跡に、弘治二年(1556年)若狭国守護武田氏の重臣粟屋越中守勝久により築城された。
永禄六年(1563年)朝倉氏に攻められたが、勝久は数年に亘る籠城戦に持ちこたえた。
元亀元年(1570年)朝倉攻めのため、織田信長が木下藤吉郎・徳川家康を伴い熊川を経て国吉城に入り、籠城戦の武勲を称賛したといわれる。国吉城を安堵された粟屋勝久は織田方の武将として各地を転戦した。
天正十一年(1583年)五月、若狭半国に封された木村常陸介定光は椿峠を下った丹後街道を佐柿中心に付け替え、城下町を整備した。
慶長五年(1600年)若狭国の領主となった京極高次は国吉城に多賀越中守を城代として入れ、城下町の整備を行ったが、慶長九年(1604年)大火により焼失した。 元和元年(1615年)一国一城令により廃城となった。
寛永十一年(1634年)閏七月小浜藩主となった酒井忠勝は佐柿町奉行所を設けた。享和三年(1803年)佐柿町奉行所は「佐柿陣屋」と改められた。