駒場城 (こまんばじょう)
最寄地 長野県下伊那郡阿智村駒場969-1 2016.1.10
駒場城 (こまんばじょう)
最寄地 長野県下伊那郡阿智村駒場969-1 2016.1.10
登城ルート
神社
駐車場横説明板・水場
四阿
主郭跡・阿智公園
西尾根1番目の堀切
2番目の堀切
3番目の堀切
4番目の堀切
5番目の堀切
駒場城 主郭跡(地図)
【遺構★★★☆☆】
【案内・感想】 国道153号線(三州街道)「駒場東」交差点より南西に約500m行き左折約500m行くと表記番地付近の交差点に「阿智公園→」の大きな案内標識がある[マップコード313 674 533*86] 。
その先すぐ案内標識があり、100m過ぎた交差点を標識に従い直進すると、林道となる。
林道を約700m行き大きく右折400mほど登ると、未舗装の急なアップダウンとなりその先に阿智公園駐車場(地図)がある。
駐車場の東に神社があり、北面に大きな「こまんば城跡」の看板が建てられている。来る途中の麓からも見える。
西に水道・池があり、説明板が建てられている。登ると四阿が二か所の郭に建てられ、虎口を登ると、標高648mの東側尾根に主郭がある。東西約350mの広い主郭のブランコ・滑り台があり、阿智公園となっている。
主郭の西側尾根に堀切が5条残っている。1番目、3番目がよく残り、4番目は埋まりかけている。その西に比高50mほど登ると、標高693.7mの三角点の城山頂上である。
【歴史】 駒場城は、応永年間に林氏によって築かれたとの伝承がある。 その後、天文年間(1532~55年)に武田氏が修築した。 元亀四年(1573年)、上洛の途についた信玄が病の為信濃へと撤退する途中、この駒場にて死去した(浪合や根羽とする説もある)。
天正十年(1582年)、織田信長が武田勝頼の領国信濃へと攻め入った。その際、信長は、川尻秀隆に命じて駒場城を修築させたと云われている。
江戸時代の延宝四年(1676年)の絵地図には「城山、御公儀林、松立」と書かれていて幕府の天領「御林」として存在していた。