飯島城 (いいじまじょう) (本郷城)
最寄地 長野県上伊那郡飯島町本郷1588 2016.1.10
飯島城 (いいじまじょう) (本郷城)
最寄地 長野県上伊那郡飯島町本郷1588 2016.1.10
縄張り図
本城土橋
本城北西空堀
本城・土塁
二、三郭間の空堀
古城窪
城山から見た二郭方面
城山・宮
城山主郭
飯島城 本城跡(地図)
【遺構★★★☆☆】
【案内・感想】 天竜川に注ぐ十王堂沢川(相の沢川)と子生沢川に浸食された舌状台地に広大な城域がある。
表記番地の道を東に行くと、行き止まりとなり[マップコード143 562 259*47]、本城跡の土橋、大空堀がある。虎口に説明板、碑が建てられ、北辺・南辺の土塁が残っている。本城跡は、畑となっている。
本城の北に大空堀で隔てて、一部墓地となった「登城」がある。その北の道を東に下ってゆくと町道に出、左折、相の沢川の西を右折し、国道135号線の下を潜り、大きく右折して相の沢川を渡ってゆくと間もなく、「前の田」と呼ばれる三郭に出る。
三郭は果樹園、畑となり、東の二郭との間に空堀(特に南側)が残っている。「古城」(地図)と呼ばれる二郭は田畑となり東に段郭を備え、古城窪と呼ばれる広い空堀がある。
その東に城山(地図)と呼ばれる主郭がある。10mほど登ると、意外と広く、東端に宮が祀られている。
「陣の郭外」と呼ばれる四郭は、国道135号線が通り大部分消滅している。
【歴史】 平安時代末から室町時代に至る四百有余年に亘り、伊那地方に栄えた信濃の名族片桐氏の支族飯島氏によって築城され、天正十年(1582年)織田信長軍の伊那侵攻によって落城する迄、飯島氏の居城であった。
中世前期に築かれた東方の城山・古城・前の田などの郭地域と、中世後期に築かれた西方の本城・登城からなる地域に分けられる。
また本城の北西500mには鎌倉時代末に創建された西岸寺があり飯島氏と深いつながりがもたれた。『飯島町教育委員会説明板』より。