松尾城 (まつおじょう) (県の史跡)
最寄地 長野県飯田市松尾代田1016 2014.11.6
松尾城 (まつおじょう) (県の史跡)
最寄地 長野県飯田市松尾代田1016 2014.11.6
三の丸二の丸間の空堀(西側)
三の丸二の丸間の空堀(東側)
二の丸・芝生広場
説明板
主郭北空堀
主郭・城跡碑
主郭・櫓台
松尾城 主郭跡(地図)
【遺構★★★☆☆】
【案内・感想】 表記番地の南東100mに松尾鈴岡公園駐車場がある[マップコード313 864 140*53]。毛賀沢川に臨む段丘突端の残丘を利用し構築された平山城である。
外郭を含めた規模は東西600m南北350mを計り主郭、二の丸、三の丸、北古城、南古城を主に空堀・土塁で隔て腰曲輪、段曲輪などが残る。
主郭の北に大空堀があり道路として使われ、毛賀沢川を渡り東の鈴岡城址公園と遊歩道がつながっている。
主郭には「松尾城址」、「松尾城跡」の石碑が建てられている。南には土盛の上に四阿が建てられている。飯田市街や南アルプスが望める。
昭和四十七年(1972年)10月16日長野県史跡に指定された。
【歴史】 信濃守護小笠原氏の居城である。小笠原氏は政康の死後、深志(府中)小笠原氏・松尾小笠原氏・鈴岡小笠原氏に別れて対立したが、松尾城は松尾小笠原氏の居城であった。
天文二十三年(1554年)武田信玄の伊那侵攻の後、松尾小笠原氏の小笠原信貴・信嶺父子は武田氏の家臣となった。
小笠原信嶺はその後、天正十年(1582年)織田信長の甲州攻めの時には織田氏に降伏し、本能寺の変の後、徳川氏の家臣となった。
天正十八年(1590年)徳川家康の関東移封の際、小笠原信嶺は武蔵国本庄城に移り、松尾城は廃城となった。