武居城 (たけいじょう)
最寄地 長野県諏訪市中洲1356−2 2016.12.23
武居城 (たけいじょう)
最寄地 長野県諏訪市中洲1356−2 2016.12.23
登城ルート(緑線は車道)
蛭子社
登り口と標識
堀切
南側の堀道
主郭土塁
主郭
城跡碑
北東上段の帯郭
北東最下段の帯郭
武居城 主郭跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高80m】
【感想】 諏訪大社の西側の丘陵先端にあり、大社と密接な関係を窺わせる。主郭からは、諏訪湖や諏訪市害が一望できる。階段状の曲輪と堀切、堀底道が特徴的であるが、土塁は見当たらなかった。
【案内】 県道16号線より西に入った表記番地南西の西沢川に架かる「赤凪橋」右側の林道を300m行った左側に「武居城跡周辺史蹟マップ」が建てられ「蛭子社」が祀られている。その先の居館跡右側に駐車できる。
林道を300mほど歩いた山側に「武居城跡森林公園」の看板が建てられ、登り口がある[218 540 696*17](地図)。
登り口より堀道が300m続き、尾根の手前に説明板が建てられている。中間点に堀切がある。
主郭には防護ネットが巡らされ、四阿や「武居城跡森林公園」の石碑が建てられている。北側に5段に亘って、帯郭が残っている。
【歴史】 元徳二年(1330年)諏訪五郎時重が鎌倉幕府最後の執権北条高時の婿となり、信濃一円に勢力を拡大し、武居平に居を構え、武居城を築いた。
正慶二年(1333年)北条氏滅亡の時、時重は高時と共に自害した。
文明十五年(1483年)諏訪大祝(おおほうり)継満は、惣領家を倒して祭政2権を握ろうとしたが、失敗し高遠に逃れた。
文明十六年(1484年)小笠原政貞、高遠継宗の援助を得て、武居城を改修して入り、干沢城(ひさわじょう・安国寺)の諏訪勢と対峙した。
天文年間(1532~55年)に入ると、諏訪頼重の家臣篠原与三郎が城代となった。天正十年(1582年)諏訪頼忠が諏訪を回復するが、高島城を築き、武居城は使われず自然廃城となった。