日ノ出城 (ひのでじょう) (鷹巣城・日之城)
最寄地 山梨県韮崎市穂坂町三之蔵3333 2015.9.13
日ノ出城 (ひのでじょう) (鷹巣城・日之城)
最寄地 山梨県韮崎市穂坂町三之蔵3333 2015.9.13
城跡碑・説明板
説明板
主郭跡・標柱
中央道の砦橋
字トリデ
日ノ出城跡(地図)
【遺構★★☆☆☆】
【案内・感想】 県道616号線より北に行った神明神社(表記番地)より北西に登り左折して約600m行った無線塔の先に、城跡碑、説明板が建てられている[マップコード167 534 684*14 ]。中央自動車道に架かる「砦橋」を渡った畑地も曲輪跡である。
主郭跡は碑の北側で、その先の鬱蒼とした森の中に、二の郭、三の郭があり、その北に空堀が認められる。
主郭、二の郭の西半分は中央道工事で消滅している。
城名は日之城の区名として、城跡はトリデ・土居・官女屋敷・牛が馬場などの地名が残っている。
【歴史】 この地は、室町時代の初期、応永永享年間(1394~1433年)の頃、武田右馬助信長に日一揆が属し、武田氏再興の拠点として活躍したところである。
そのころ、逸見・跡部両氏に輪宝一揆が与して敵対し、抗争を繰り返したが、永享五年(1433年)四月、信長・日一揆は、輪宝一揆と荒川原で激戦を交えたが、大敗を喫し総崩れとなった。
その後、廃城となったが、天正十年(1582年)北条氏直の甲斐侵攻により、徳川家康が城跡を修築して、北条勢に備えた。『韮崎市教育委員会説明板』より。