南郷城 (なんごうじょう)
最寄地 石川県加賀市南郷町カ28 2017.8.4
南郷城 (なんごうじょう)
最寄地 石川県加賀市南郷町カ28 2017.8.4
神社由来 (城跡の記述あり)
八幡神社
八幡神社
竪堀
白山神社
南東下段の平坦地
南郷城跡(地図)
【遺構★★☆☆☆】
【感想】 大聖寺城の東約1.8kmに位置し、八幡神社や菅原神社、白山神社の祀られた丘全体に築かれていた。遺構は少ないが、竹林の中の北東下段に平坦地があり、竪堀が南西斜面に見てとれる。
【案内】 八幡神社石段前に駐車できる[マップコード120 159 813*80](地図) 。八幡神社の右に、菅原神社、稲荷神社、住吉神社、最高所に白山神社が合祀されている。
【歴史】 加賀一向一揆衆が築いた城で、大聖寺城の東約1.8kmに位置している。
弘治元年(1555年)、朝倉宗滴は越後上杉氏の長尾景虎に呼応して加賀一向一揆を討つべく加賀に攻め入った。この南郷城には黒瀬掃部らが守っていたが、宗滴は南郷・津葉・千足(加賀市)の3城を攻撃して1日で全て落とした。
その後、慶長五年(1600年)の関ヶ原の戦いの北陸戦線では、西軍の山口宗永の長男山口修弘右京亮が入っているが、同年八月三日、東軍の前田利長によって落とされ自刃した。
慶長五年(1600年)八月、金沢前田藩2代藩主利長が大聖寺城主山口玄蕃宗永を攻めた。その際、南郷城を利用している。
利長の家臣岡島市正が大聖寺城鐘ヶ丸で深手を負い、南郷城まで引き上げて没したという。その後、付近で怪異なことが起き、八幡の宮を建て霊を鎮めたのが、八幡神社の始まりという。