細野城 (ほそのじょう)
最寄地 岐阜県土岐市鶴里町細野783−1 2014.11.23
細野城 (ほそのじょう)
最寄地 岐阜県土岐市鶴里町細野783−1 2014.11.23
登城ルート(緑線は車道)
「大手」登り口
大手虎口
大手曲輪・B堀切
主郭・土塁・案内板等
竪堀
E堀切
搦手曲輪
F堀切・土塁
師岩
細野城 主郭跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高150m】
【案内・感想】 鶴岡山(712.4m)の尾根先端(標高640m・比高150m)に築かれている。
国道363号線より600mほど南に行った正福寺(表記番地)の手前約100mより東に350mほど行った付近に登り口があり[マップコード98 105 367*66](地図)、登山道の標識がある。駐車場は無い(手前に駐車)。
東に登って400m程行くと、大手虎口があり、C堀切、大手曲輪がある。B堀切で分けられ主郭がある。東西約20m南北約35mの主郭(地図)には土塁が中央に残り、案内板、縄張り図、「細野城址」標識が立てられている。
主郭の南東に喰違虎口、土橋、E堀切、竪堀があり、「搦め手曲輪」があり、F堀で切られて、師岩、鶴岡山に続いている。
別ルートとして正福寺駐車場より東に林道を200mほど行くと「搦手」登り口があり、砂防ダムの手前(地図)を東に登り、「石切場跡」「師岩」経由で、再び下って搦め手に至る約1500mのコースがある。このコースは要所に矢印標識があり迷う事はない。
【歴史】 築城時期ははっきりしないが、天正十二年(1584年)の小牧・長久手の戦いに際し、徳川家康方の陣城として、岡崎城代・石川数正と近隣住民により築かれたと推定される。
また一説には、慶長五年(1600年)関ヶ原の戦いの時とも云われる。関ヶ原の戦いの時には隣の柿野村で東軍の妻木勢と西軍の田丸勢が戦ったとの記録がある(妻木城跡参照)。
城主については不明であるが、城が位置する細野村は、室町時代には妻木氏、江戸時代には岩村藩が治めている。
城の規模は東西約90m南北約80mと小規模で恒常的な城ではなく外部勢力による臨時的な城であったと考えられる『現地案内板中嶌茂氏による』。