関城 (せきじょう) (安桜山城)
最寄地 岐阜県関市山ノ手2丁目14−3 2014.11.24
関城 (せきじょう) (安桜山城)
最寄地 岐阜県関市山ノ手2丁目14−3 2014.11.24
登城ルート
わかくさトンネル・登り口(右の階段)
展望所
頂上曲輪
御嶽大神
腰郭
関城 主郭跡(地図)
【遺構★★☆☆☆ 比高90m】
【案内・感想】 国道418号線「平和通3」交差点より北に約400m行った「わかくさトンネル」手前の表記番地左に「安桜山公園」への階段がある[マップコード70 515 886*52]。
少し登った「御嶽神社」の拝殿横より比高90m安桜山頂上へ遊歩道がある。主郭跡は安桜山御嶽神社の境内となっている。
麓には安桜山公園や宗休寺(関善光寺)がある。市街地の南北を結ぶ「わかくさトンネル」と「安桜山トンネル」の二本が貫通している。
遺構はあまり見当たらなかった。
【歴史】 享禄元年(1528年)、長井長弘が築いたと伝えられる。
その後城主は斎藤龍興の重臣・長井道利となり、中濃から東濃可児郡あたりまで、勢力下に置いていたと考えられる。織田信長の美濃侵攻の中で、急遽防御施設が作られたと見られる。
永禄八年(1565年)、城主・長井道利は、近隣の加治田城主・佐藤忠能、堂洞城主・岸信周は反信長の同盟を結んでいたが、忠能が信長に内通した。
同年八月二十八日に、信長の家臣丹羽長秀と忠能は堂洞城を攻め落とした(堂洞合戦)。その翌日、道利は加治田城を攻撃したが、信長が派遣した斎藤利治に攻められ関城に退却した。九月一日に利治に包囲されると、道利は開城して立ち退き、関城は信長の手に落ちた(関・加治田合戦)。
その後、関に城主は置かれず、信長は代官を派遣し直轄統治したと思われる。