社山城 (やしろやまじょう) (水巻城) (市の史跡)
所在地 静岡県磐田市社山 2017.2.24
社山城 (やしろやまじょう) (水巻城) (市の史跡)
所在地 静岡県磐田市社山 2017.2.24
登城ルート
入口標柱・登り口
土橋・空堀
竪堀
主郭(一の曲輪)
主郭・八幡神社
主郭南西の横堀
主郭二郭間の堀切
二郭の土塁
二郭
社山城跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高40m】
【感想】 天竜川の東2kmの標高130mの丘陵にあり、2つの曲輪と帯曲輪から構成されている。
土橋が見事で、竪堀、堀切、土塁などよく残っている。
【案内】 慈眼寺(静岡県磐田市上神増99)より東に約400m行くと入口標柱が建てられている (地図)。
更に南に行き案内板のある三叉路を右折、約400m南に行くと道路終点に駐車でき、その横に登り口がある[マップコード26 537 655*47](地図)。
杉林の道を少し登ると、空堀・土橋が見られる。さらに登ってゆくと、竪堀に通路が設けられている。
虎口の右に主郭があり、八幡神社背後に土塁が残り西側に降ると、見事な横堀が残っている。
虎口より左に行くと堀切があり、上段に二の曲輪がある。主郭側に土塁があり、東側に浅い堀切が残っている。そ
平成十七年(2005年)11月21日、磐田市の史跡に指定された。
【歴史】 築城時期等は不明だが、『宗長日記』他の記録によると、文亀年間(1501~04年)に斯波氏と今川氏の抗争の場となり、斯波氏が破れ今川氏の支配となったと伝えられる。
永禄三年(1560年)桶狭間の戦いで今川義元が戦死し、義元の子氏真が徳川氏と武田氏によって領国を追われ今川氏が没落し、三河の徳川氏の支配下となった。
元亀三年(1572年)武田信玄が上洛を企て遠州地方に侵攻したため、今度は徳川氏と武田氏との抗争の場となった。
天正十年(1582年)武田氏が滅亡した為、城としての存在価値がなくなり、天正十八年(1590年)徳川家康が関東に移封されたことにより自然廃城となった。