飯田城 (いいだじょう)
最寄地 石川県珠洲市飯田町10−20-8 2018.6.15
飯田城 (いいだじょう)
最寄地 石川県珠洲市飯田町10−20-8 2018.6.15
登城ルート
登り口・津波避難口
北の堀切
北西の畝状竪堀
主郭(南北2つの郭)
南尾根1番目の堀切
2番目の堀切
3番目の堀切・南の郭
南の郭
飯田城 主郭跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高30m】
【感想】 飯田湾に注ぐ若山川右岸の標高約48mの丘陵に築かれている。主郭は津波避難地となっており草木が刈られていた。
主郭北東、北西斜面の畝状竪堀群はよく残っている。また南尾根も草木が刈られ、2つの小郭や南端の郭、堀切が確認できた。
【案内】 国道249号線より左折、「城山児童公園」の手前表記番地前の道路が広く駐車できる[マップコード329 676 357*61](地図)。津波避難口より登る。
避難路として整備され、登り詰めると南北2つの郭の主郭に着く。主郭北尾根に堀切があり西側下段と北東下段に畝状竪堀群が残っている。
主郭南は草が密生しているが箱堀のような幅広の堀があり、南へ続く尾根に2条の堀切で仕切られた小郭がある。南端に少し高くなった郭がある。
【歴史】 築城年代は定かではない。飯田を領した土豪飯田氏は能登国守護代・遊佐続光に従っていた。
天正四年(1576年)上杉謙信の家臣長景連が海路で侵攻した際、飯田与三左衛門はそれに呼応し、正院川尻城主・長景連に従った。
天正七年(1579年)織田信長は遊佐(温井)景隆・三宅長盛らと結び、上杉氏の勢力を能登より追い落とした。その際、飯田城も攻められ落城し、飯田与三左衛門は越後へ逃れたと伝えられている。