高原諏訪城 (たかはらすわじょう) (国の史跡)
所在地 岐阜県飛騨市神岡町殿573 2014.6.16
高原諏訪城 (たかはらすわじょう) (国の史跡)
所在地 岐阜県飛騨市神岡町殿573 2014.6.16
登り口
登り口
堀切
土橋・堀・本丸虎口
本丸・江馬候城址碑
本丸跡
江馬氏下館跡・堀・塀門
復元門・塀
復元江馬氏下館会所
高原諏訪城 本丸跡(地図)
【遺構★★★★☆】
【案内・感想】 下館跡(表記番地)に「江馬氏館跡公園」として整備され、空堀、塀、会所などが復元されており(地図)、東側入口に駐車場がある[マップコード191 862 646*52]。
高原諏訪城跡は「下館跡」より南に600m程行き、交差点を北に県道484号線を約1.7㎞登った峠付近[マップコード191 863 541*82](地図)に「高原諏訪城跡」標識がある。
路肩に駐車して南に100mほど行った尾根に堀切があり、そこから南に登ると本丸跡があり「江馬候城址」の石碑が建てられている。本丸から山間に開けた神岡町の町並や復元された江馬氏館が望める。
昭和五十五年(1980年)3月21日、江馬氏城館跡(下館跡、高原諏訪城跡、土城跡、寺林城跡、石神城跡、洞(麻生野)城跡、政元城跡)が、国の史跡に指定された。
【歴史】 室町時代に江馬時盛、時経が築城したとされ、江馬氏の本拠地であった。姉小路氏と飛騨の覇権をめぐって度々争ったという。
天正六年(1578年)、甲斐の武田氏と手を結ぼうとしたが、それに反対した子の江馬輝盛によって暗殺された。
しかし、天正十年(1582年)の八日町の戦いで時盛の子・江馬輝盛が三木(姉小路)自綱(よりつな)に敗れ戦死すると、小島城主・小島時光によって攻められ、大雪で防御柵なども破損していた事などもあり、防御体制が万全でなかった為に落城し、廃城となった。
これにより、高原郷の領主としての江馬氏は滅亡することになった。