松波城 (まつなみじょう) (県の史跡)(国の名勝)
所在地 石川県鳳珠郡能登町松波ラ3‐78 2014.10.27
松波城 (まつなみじょう) (県の史跡)(国の名勝)
所在地 石川県鳳珠郡能登町松波ラ3‐78 2014.10.27
登城ルート
松波保育園横登り口
東郭の虎口
東2郭と東1郭間の堀切
本丸・松波城址碑
東1郭・音川亭・鳳祥斎址
東1郭南下段の一竿亭
本丸虎口・土塁・石垣
本丸址碑
雁鯉ヶ池
移築萬福寺山門
松波城 本丸跡(地図)
【遺構★★★★☆】
【感想】 奥能登の日本海に連なる飯田湾を望む台地にあり、空堀・堀切がよく残っている。規模も大きく、よく手入れされ石垣、土塁など見応えがある。
【案内】 松波川左岸の舌状台地の東に位置し、松波城址公園として整備されている。
松波保育園(松波8−2−1)横より[マップコード329 374 278*34]、西に登ると堀切があり西の台地(東2郭)に「松波城址」の大きな石碑の建つ曲輪があり、土塁が残る。
その東に「音川亭・鳳祥斎址」の碑が建てられている東1郭がある。南に一段下がって「一竿亭」の茶室が残されている。
能登鉄道(廃線)を跨ぐ橋を渡って西に行くと、「松波城大手門址」の石碑があり、その西に枯山水園の遺構がある。
虎口を登ると土塁・石垣があり中央に「松波城本丸址」の石碑が建てられた本丸があり、武道館(表記番地)が建てられている 。北に下った所に「雁鯉ヶ池」がある。
枯山水園は、昭和三十七年(1962年)、公園整備中に発見され、昭和五十五年(1980年)に再発掘調査で十五世紀後半から十六世紀のものとされる庭園の跡が発掘され、平成三年(1991年)2月6日に、県指定史跡に指定された。
平成二十四年(2012年)1月24日、建物群や庭園跡を含む約4000㎡が「旧松波城庭園」として国の名勝に指定された。城跡は能登町指定史跡となっている。
また、搦め手門は萬福寺(能登町松波14‐84)の山門に移築され、現存している。
【歴史】 文明六年(1474年)、能登畠山氏三代当主畠山義統(よしむね)の三男とされる畠山義智により築城されたと伝わっている。
以後、6代に亘り松波畠山氏の居城として奥能登一帯を統治した。
5代当主・松波義龍の代に、この地の有力豪族松波氏の名跡を継ぎ、松波氏を称し、松波城は能登畠山氏の居城・七尾城の支城的役割を担った。
天正五年(1577年)、七尾城陥落後に上杉謙信家臣長沢光国に攻略され、6代当主松波義親は自害し落城した。