柏原城 (かしわらじょう) (滝野城)
最寄地 三重県名張市赤目町柏原464 2018.10.20
柏原城 (かしわらじょう) (滝野城)
最寄地 三重県名張市赤目町柏原464 2018.10.20
登城ルート(緑線は車道)
城址碑
入口の説明板
南東側1番目の 空堀
南東側3番目の空堀
主郭虎口
主郭・土塁・井戸
北東側内側の空堀
北東側2番目の空堀
柏原城跡(地図)
【遺構★★★★☆ 比高10m】
【感想】 赤目町柏原の高善山から北東に伸びた、比高10mほどの低丘陵に築かれ、土塁、空堀を巡らせた主郭がよく残っている。主郭南東隅には井戸が残されている。
南東には空堀が3条あり、東側も2条の空堀となっている。西側は水堀のような池がある。
【案内】 県道567号線「赤目町丈六」交差点より近鉄大阪線を越え、南に行った勝手神社(表記番地)北西角に「天正伊賀乱四百年記念・決戦之地柏原城」の石碑が建てられている[マップコード131 010 753*86] 。その横に駐車できる。
北側の道を東に行き、田の畦道を東に進むと入口があり、説明板が建てられている。
上るとすぐに虎口があり、主郭周囲に高土塁がめぐり、外側に空堀が巡らされている。
【歴史】 瀧野十郎吉政が城主であったとき、天正九年(1581年)織田信長が全国制覇に燃え、伊賀に3万数千の大軍で攻め入った。伊賀の神社・仏閣を悉く焼き払い、伊賀一円を焦土と化した。
柏原城には、伊賀土豪ら千6百余人が、立て籠もり織田の大軍と奮戦したが、遂に落城した。