石田三成陣地 (いしだみつなりじんち)
所在地 岐阜県不破郡関ケ原町関ケ原 2011.6.5
石田三成陣地 (いしだみつなりじんち)
所在地 岐阜県不破郡関ケ原町関ケ原 2011.6.5
関ヶ原古戦場決戦地の碑
決戦地説明板
石田三成陣地碑
石田三成陣地跡(地図)
【遺構★★☆☆☆ 比高30m】
【感想】 石田三成陣地は比高約30mの笹尾山にあり、斜面には薊の花が多く咲いていた。決戦地碑は笹尾山の南東約170mにある。
【案内】 国道365線「小池北」交差点の西の交差点に標識が設けられている[マップコード242 100 855*53] 。
標識に従い北に400mほど行くと、決戦地碑、石田三成陣地がある。陣地は比高30mほどの笹尾山にあり、展望台が設けられている。
【歴史】 大垣城を出た石田三成は6900の兵を率いて、前日14日、笹尾山に布陣した。 慶長五年九月十五日(1600年10月15日)朝、福島正則(東軍)の宇喜多隊(西軍)への銃撃戦で開始された。
西軍有利な陣形で臨んだ戦いであったが、松尾山の小早川秀秋や脇坂安治ら4隊の裏切りで、戦況は一変した。
小早川勢の大谷吉嗣隊への突入、大谷勢の壊滅と同時に、西軍は劣勢となり、西軍各隊の兵士は浮足立った。南宮山の西軍の毛利軍ら3万3,000もの大軍は参戦せず、このため、石田隊は集中攻撃を受け頑強に戦ったが、西軍は総崩れとなり、三成は戦場から逃走して伊吹山に逃れた。