長峰城 (ながみねじょう)
所在地 新潟県上越市吉川区長峰 2014.10.3
長峰城 (ながみねじょう)
所在地 新潟県上越市吉川区長峰 2014.10.3
物見北にある 縄張り図
登り口
空堀跡
土橋・虎口
土塁
主郭北側土塁
土塁から見た主郭(施設跡)
物見跡
土塁断面
長峰城 本丸跡(地図)
【遺構★★★☆☆】
【案内・感想】 県道30号線「道の駅・よしかわ杜氏の郷」(上越市吉川区杜氏の郷1)南の「長峰」交差点より北に県道338号線を50m、左折して直進750mほど行くと登り口がある[マップコード126 869 767*73] (地図)。
約100m西にも登り口があり、説明板「長峰城ものがたり」が建てられ、駐車スペースがある[マップコード 126 869 734*7 ]。道路の南に土塁断面や物見櫓跡(南西隅)がある。
北に登ると、「長峰池(ハカマ池)」の南岸の丘陵に位置し、土塁で囲まれた本丸は東西75~80m、南北110m~120mの規模である。空堀、虎口、郭(施設跡)が樹木や草の中に残っている。
本丸の南側部分を道路が貫通し、物見櫓と分断している。
【歴史】 中世に那須氏の居城として築城され、その後衰退した。
元和二年(1616年)、高田藩主松平忠輝改易の後、二代将軍徳川秀忠配下の牧野忠成(越後長岡藩初代)が上野国・大胡城城主2万石から越後国長峰藩主5万石として移封され、那須氏居城の遺構に再築城した。
しかし、二年後の元和四年(1618年)牧野忠成は幕府に同国長岡藩6万2千石に転封を命じられ、同年三月には長峰を後にした。
その後は高田藩領に編入されて長峰に入城する領主は無く、長峰城は自然荒廃した。
近世に成立した長峰村により空堀が一部埋められ、近代には更に城の土塁を大規模に崩すなどして、南に在った「犀ヶ池」や湿地帯は埋め立てられ水田となった。
また現在は道路が通され、特に城の大手口から東西に車道が貫通し城の土塁や空堀が分断され遺構が改変された。