鞍骨城 (くらほねじょう) (倉骨城・鞍橋城)
所在地 長野県長野市松代町清野/千曲市大字倉科 2020.10.24
鞍骨城 (くらほねじょう) (倉骨城・鞍橋城)
所在地 長野県長野市松代町清野/千曲市大字倉科 2020.10.24
登城ルート
二本松峠
北西尾根の大堀切
鉄塔先の2重堀切(手前)
鉄塔先の2重堀切(2条目)
2郭の石垣
2郭
主郭南側石垣
主郭西側石垣
主郭・標柱
東側2条目の堀切
鞍骨城跡(地図)
【遺構★★★★☆ 比高440m】
【感想】 松代町清野と千曲市倉科の境界にある標高798mの鞍骨山に築かれている。
北西尾根の大堀切や深い2重堀切、主郭南側の石垣がよく残っており、見応えがある。3km以上歩いてはるばる来た甲斐があった。
【案内】 妻女山陣跡もしくは唐崎城から天城山へ登り、南東へ約250m行くと、二本松峠の切通しがあり、300m程南東に深い堀切がある。
さらに200m程行った鉄塔の先に長大な竪堀を伴う2重堀切がある。
そこから南東に登って行くと崩れた石積の2郭に着く。
南側の郭から崩れた石積の大手を登って行くと、石垣が西から南、東にかけて見られる。
主郭には東側に土塁が残り、標柱が建てられている。東側の細尾根2条の堀切が残っている。
【歴史】 永正年間(1504~21年)清野山城守勝照によって築かれたと云われ、清野氏は村上義清に従っていた。
武田信玄の信濃侵攻が始まると、真田幸隆らの調略に応じて清野氏は村上氏を離れ武田方に付いた。
村上義清は清野氏、屋代氏、塩崎氏、雨宮氏などの寝返りにより、南方の武田氏と背後に敵を持つことになり、天文二十二年(1553年)越後上杉氏を頼って逃れることになった。