寺尾城 (てらおじょう)
所在地 長野県長野市松代町東寺尾 2020.11.7
寺尾城 (てらおじょう)
所在地 長野県長野市松代町東寺尾 2020.11.7
登城ルート
登り口
馬場南端の仕切り石積
馬場北の堀切
主郭2郭間の堀切
主郭
寺尾殿之墓
主郭北の堀切・土橋
北の郭
北端の堀切・土橋
寺尾城跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高100m】
【感想】 尼厳山から西に伸びる尾根から南に分かれた標高約465mの尾根に築かれている。尾根続きの北約900mには金井山城がある。
主郭の北と南に土塁があり、北に石積みが残っている。北側には土橋付きの堀切が2条よく残っており、その間に郭がある。
一方南には、2、3郭があり浅い堀切が見られ、その南の細長い馬場の南端に仕切り石積が見られる。
愛宕神社の背後に石垣があるが、こちらは新しく土留め用と思われる。
【案内】 国道403号線より市道を南に行き左折した所に愛宕神社参道があり、かろうじて1台駐車できる[マップコード177 864 417*38]。
参道を登ると愛宕神社がありその右から登るとすぐ新しい石垣がある(地図)。そこから特に道はないが尾根を北東に登って行くと、仕切り石積みがあり、そこから城跡になる。
主郭に「寺尾殿之墓」が祀られ、南尾根に浅い堀切が2条、北尾根に土橋付の堀切が2条残っている。
【歴史】 築城時期は不明だが、在地領主・寺尾氏の居城であった。
天文十九年(1550年)寺尾城主・寺尾太郎左衛門は金井山城主・金井氏と共に武田氏に内応した為、村上義清軍の攻撃を受けた。
天正十年(1582年)武田氏滅亡後は、上杉景勝に従っていたが、慶長三年(1598年)上杉景勝が会津に移封になると、寺尾氏も移り、廃城となった。