匂坂城 (さぎさかじょう)
最寄地 静岡県磐田市匂坂中943 2016.3.13
匂坂城 (さぎさかじょう)
最寄地 静岡県磐田市匂坂中943 2016.3.13
岩田小学校
道路横の城跡碑
石碑(説明文)
【遺構★☆☆☆☆】
【案内・感想】 県道44号線「匂坂中上」交差点の北約200mより、東に細い道を200mほど行った表記番地南の道路の向いに「匂坂城跡」の黒御影の石碑が建てられている[マップコード26 355 397*50] (地図)。
周囲は田畑のとなり、北には「岩田小学校」敷地がある。一帯が匂坂氏の居館跡である。
匂坂城は北東約700mの豊田原台地の西端(地図)に築かれていたと云われる。 遺構は消滅している。
【歴史】 遠江の国人領主匂坂氏が居住した城で、天文元年(壬辰:1532年)匂坂筑前守六郎五郎長能は、社山城主を菅沼重左衛門定平と交替し、本領匂坂に城砦を構築した。また、社山城より若宮八幡宮を匂坂城に移し鎮守とした。
元亀二年(1571年)三月、武田信玄の高天神城攻めの時、同月六日信玄に攻められ、小田松、匂坂、宮口の三城が落城した。
遠江に進出した武田信玄は重臣穴山梅雪を置いて守らせた。このころの匂坂城は武田軍の二俣攻めに際し、掛川と浜松を分断する大きな役割を果たしていた。
城跡は本城跡といい、宝暦年間(1751年)土地を鋤塚とし、槍・太刀等が出、若宮の内に納められた。『石碑文』より。