横須賀城 (よこすかじょう) (松尾城・両頭城) (国の史跡)
最寄地 静岡県掛川市西大渕5391-46 2014.6.13
横須賀城 (よこすかじょう) (松尾城・両頭城) (国の史跡)
最寄地 静岡県掛川市西大渕5391-46 2014.6.13
二の丸跡
本丸石垣
本丸石垣
天守台・土塁・城跡標柱
天守台・土塁・城跡碑
三日月池
撰要寺・移築不開門
横須賀城 本丸跡(地図)
【遺構★★★★☆】
【案内・感想】 県道41号線の北側の道路、「松尾集会所」(表記番地)の北に「横須賀城跡公園」として整備され、本丸西の腰曲輪に駐車場があり、説明板が建てられている[マップコード169 041 773*33](地図)。
中央に「本丸」、東に「三の丸」、西に「二の丸」(地図)と配置された平城であり、本丸にコの字形に、天竜川より運ばれた玉石を積んだ石垣があり、上段に土塁が残り天守台と城跡石碑があり、西の丸曲輪がある。天守閣は三重四階であった。
南に「三日月池」と呼ばれている水堀があり、駐車場の西に二の丸跡があり、空地となり一部宅地になっている。
不開門(あかずのもん)が城跡の北西にある撰要寺(掛川市山崎1305)に、町番所が市役所大須賀支所(掛川市西大渕100)北側に、それぞれ移築され現存している。
昭和五十六年(1981年)5月8日、国の史跡に指定された。
【歴史】 天正六年(1578年)徳川家康は6㎞東にある武田氏の高天神城を攻める拠点として、大須賀康高に命じて築城を開始し天正八年(1580年)完成した。
天正九年(1581年)高天神城が落城すると、江戸時代にかけて近隣支配の拠点となった。
大須賀家2代の後、渡瀬家1代、有馬家1代、その後、再び大須賀家2代となるが除封され、能見(松平)家2代、井上家2代、本多家1代とめまぐるしく藩主が代わった。
天和二年(1682年)西尾忠成が2万5千石で入封し、以後8代忠篤の時に明治維新を迎えた。西尾家歴代の藩主のなかで2代忠尚は名君の誉れ高く、若年寄を勤め5千石加増され、都合3万5千石になり、老中も勤めた。
宝永四年(1707年)十月に起きた宝永地震により地盤が隆起するまでは、城内に船着場があった。