米田城 (よねだじょう) (町の史跡)
最寄地 岐阜県加茂郡川辺町福島325-3 2018.10.8
米田城 (よねだじょう) (町の史跡)
最寄地 岐阜県加茂郡川辺町福島325-3 2018.10.8
登城ルート
鳥居背後の城址標柱・遠景
加茂神社
頂上手前の石段
主郭・愛宕神社
北側上段の空堀
北側下段の空堀
米田城跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高130m】
【感想】 飛騨川左岸の標高261mの愛宕山に築かれている。米子富士とも呼ばれ、遠くから目立つ山容を示している。
山麓に本城が設置され、山頂には物見程度の支城があった。主郭には愛宕神社が祀られ、北側背後に土塁付の空堀が2段になって残っている。
【案内】 国道418号線「福島段」交差点の東約150mに加茂神社鳥居があり、後ろに米田城址標柱が建てられている。
北に行った天理教向かいの空き地に駐車できる[マップコード70 534 111*71]。加茂神社へ登り拝殿右手から遊歩道が頂上まで整備されている。
川辺町の史跡に指定されている。
【歴史】 築城は永正二年(1505年)で、初代城主は土岐氏庶流の肥田小軌軌吉であり、玄蕃允軌休の父に当たる。
室町時代には美濃守護職土岐政房が後継者問題の内紛から一時この城に移住したとの記述もある。
天正十年(1582年)六月に金山城主森長可の急襲にあって落城し、肥田一族は加治田上に逃れ、廃城となった。
肥田玄蕃の長男長寿丸は米田合戦の折に、馬串山(美濃加茂市)にあって米田城の急変を聞き、救援に赴いたが、比久見地内にて戦死した。『現地説明板』より。