干沢城 (ひさわじょう) (樋沢城・安国寺城) (市の史跡)
最寄地 長野県茅野市宮川安国寺2030 2019.8.17
干沢城 (ひさわじょう) (樋沢城・安国寺城) (市の史跡)
最寄地 長野県茅野市宮川安国寺2030 2019.8.17
説明板
登城ルート(緑線は車道)
西側城台・堀
二郭三郭間の空堀
三郭
4郭(右が3郭切岸)
2郭・段郭切岸
段郭・戦闘石・主郭切岸
主郭
主郭・城址碑・説明板
干沢城 主郭跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高60m】
【感想】 諏訪大社上社前宮南の標高849mの山頂に築かれている。
北から4郭、3郭、広い2郭、段郭、主郭と並んだ連郭式の城構えとなり、南に谷を隔てて長林砦がある。空堀や竪堀がよく残っており、主郭北の段郭には戦闘石なども見ることが出来る。
【案内】 国道152号線に面した諏訪大社上社前宮(表記番地)の一つ南の交差点を西に行くと、「三宝荒神」の前の駐車場が利用できる[マップコード218 541 590*51]。
そこから南へ行くと「干沢城址登り口→」が建てられ、100m程行くと、西麓に登り口がある。
登ってゆくと、西側の堀に着き、延長上に二郭と三郭間の空堀がある。
鉄塔のある所が二郭で一番広く、南北2段になっている。北側の三郭との間に空堀がよく残っており、その北が一段低く四郭がある。
一方、二郭の南に竪堀があり、段郭を経て、切岸の目立つ主郭には、「干沢城主郭跡」の碑や説明板が建てられている。戦闘石なども見ることが出来る。
昭和六十三年(1988年)7月29日、茅野市の史跡に指定された。
【歴史】 築城年代は不明であるが、諏訪氏大祝(おおほうり)家の居城として築かれた。
文明十五年(1483年)正月八日、大祝諏訪継満は祭政二権を得ようとして、惣領家諏訪政満とその子宮若丸を神殿で饗応し、酔いつぶれたところを謀殺した。
しかし継満の行為は諏訪大社の社家衆の反発を招き、二月十九日、守矢満実・矢崎政継・千野・福島・小坂・有賀ら有力者により継満の干沢城が攻められ、伊那郡高遠へ逃れた。
文明十六年(1484年)小笠原政貞、高遠継宗の援助を得て、武居城を改修して入り、干沢城(安国寺城)の諏訪勢と対峙した。
天 文十一年(1542年)高遠頼継は諏訪総領職を継ぐべく、武田信玄や金刺氏と結んで、干沢城を攻め戦場となった。