塩崎城 (しおざきじょう) (白助城 )(しらすけじょう)
最寄地 長野県長野市篠ノ井塩崎878 2015.10.4
塩崎城 (しおざきじょう) (白助城 )(しらすけじょう)
最寄地 長野県長野市篠ノ井塩崎878 2015.10.4
登城ルート
登り口・案内板
二の郭
一の郭石垣
一の郭跡・土塁・碑
一の郭石塁
四の郭
二重堀切
竪堀
塩崎城 本郭跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高150m】
【案内・感想】 長谷観音寺(表記番地)の駐車場が利用でき[マップコード177 762 401*40]、本堂裏に説明板が建てられ、登り口がある(地図)。
登山道に数十体の西国三十三番観音霊場があり、中間に送電線鉄塔がある。大岩の登りを経て、三の郭の南に着く。上段に広い二の郭跡、石垣の上部に比高約150mに一の郭跡が並ぶ。
一の郭土塁の背後に四の郭跡があり、二重空堀とそれに続く深い竪堀がよく残っている。
一の郭跡には両側に石塁があり中央に石垣の崩れた高い土塁があり、「塩崎城跡」の標柱が建てられている。三の郭の下段に十段の小郭があるが、荒れている。
【歴史】 応永七年(1400年)信濃守護小笠原長秀の軍勢2百人近くが四宮河原での国人衆との合戦に敗れ、塩崎城に逃げ込み20日近く籠城した。あわや落城寸前、佐久の大井氏の調停により、長秀は京都に逃げ帰った。